西郷さんを知る
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西郷隆盛

西郷 隆盛(満49歳没)生誕1828年1月23日死没1877年9月24日

西郷隆盛(南洲翁)の生涯について詳しく紹介します。明治維新の先覚者であり、幕末に活躍した西郷さんの、現在に残された写真や名言、誕生から斉彬との出会いなど当時関わった事件やエピソードを紹介します。

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南洲年表

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幼少時代

青年時代

藩主斉彬への忠勤

西暦年齢月日主な出来事
1854年26歳1月中御小姓になり、藩主・斉彬に従って江戸に上る。
4月庭方役に任命される。水戸の藤田東湖に会い、深い感銘をうける。この年の晩秋から初冬の頃、妻スガ留守中に実家へ引き取られ離婚。翌年まで善兵衛、のち吉兵衛と改名。
1857年29歳4月藩主・斉彬に従って帰国。御小姓与に復帰。
10月徒目付・鳥預・庭方兼務となり、江戸勤務を命ぜられる。
12月橋本左内と会い、将軍継嗣問題に関する斉彬書を松平慶永に呈す。
1858年30歳6月帰藩して斉彬に江戸及び京都の形勢を報告。
7月吉井友実と上洛。
7月末大阪で斉彬の訃報に接し、殉死を考えるが、僧・月照に慰められる。
8月水戸・尾張藩への内勅を持って江戸に行く。
9月月照をかくまうため、有村俊斎と共に帰藩の途につく。
10月藩命により三助と改名。
11月月照に日向送りの藩命を伝え乗船。16日未明、大崎鼻沖で月照と共に入水。同乗していた平野国臣らに救われ、西郷は蘇生したが月照は死去する。
12月晦日、菊池源吾と変名。奄美大島竜郷へ潜居を命ぜられる。

南島潜居と謫居

西暦年齢月日主な出来事
1859年31歳1月山川を出帆し、奄美大島龍郷村着。
11月龍枝加那の娘・おとまがに(愛加那と改名)と結婚。
1861年33歳1月庶長子・菊次郎誕生。
11月新家屋落成。
藩より召還命令を受ける。
1862年34歳1月龍郷村出帆。
2月枕崎着。上之園の自宅(借家)に落ち着く。大島三右衛門へ改名仰せ付けられる。
3月徒目付・鳥預・庭方兼務に復す。久光の上洛に村田新八と共に先発。平野国臣らから京大阪の情勢を聞き、待機命令に背き下関出帆。大阪着。
4月久光は激怒して西郷らの捕縛を命じ、西郷・村田は捕らえられ、鹿児島に護送される。
6月山川出帆。屋久島一湊・奄美大島西古見を経て出帆。
7月初め、徳之島湾仁屋着。岡前に住む。菊草(菊子)誕生。
沖永良部島への遠島処分を受ける。西郷家の知行高・家財没収。知行高は売却済みで実害なし。
閏8月大島吉之助と改名し、岡前発。井之川出帆。沖永良部島伊延着。和泊で入牢する。
10月新家屋の「囲い」に移る。
1863年35歳 島の子供たちのために囲いの中で塾を開く。流人学者・川口雪蓮が来訪、以後共に詩作と書の研鑽を積む。
7月薩英戦争が起こる。
9月土持政照の尽力で出撃のための船を準備する。また、薩英戦争の情報を徳之島や沖縄に求める。

禁門の変前後

西暦年齢月日主な出来事
1864年36歳2月召還の藩命出る。龍郷経由で喜界島に寄り、村田新八を連れ鹿児島着。
3月鹿児島出帆。京都に入り軍賦役となる。
4月一代新番・小納戸頭取となる。
7月禁門の変起こる。薩摩兵を指揮して、長州兵を撃退する。
10月藩命により西郷姓に複名。御側役・代々小番に昇格。征長軍総督・徳川慶勝より長州の処分を一任される。
11月岩国で吉川監物に長州処分案を伝える。征討進軍を中止し、長州処分案を総督に提出。
12月下関で三条実美ら五卿の処分を計り、征長軍の解兵を提案する。

薩長連合前後

西暦年齢月日主な出来事
1865年37歳1月帰国。岩山八郎太直温の二女イト21歳と結婚。
2月太宰府で五卿と会い、福岡で藩主・黒田長博に五卿の処遇を頼む。
3月上洛。
5月坂本龍馬を同行して帰国。大番頭・一身家老となる。
大久保と計り、長州再征には出兵拒否の藩論をまとめる。
閏5月上洛。
9月四国連合艦隊の動きを知り、雄藩連合を計る。
10月帰国し、京都の情勢を報告して、久光の上洛を促す。
11月兵を率いて上洛。
12月黒田清隆・坂本龍馬を長州に遣わし、薩長連合を計る。
1866年38歳1月薩長同盟成立。
3月帰国。
4月藩政改革と陸海軍拡張を進言。
6月鹿児島入港のイギリス軍艦を訪ね、パークス駐日公使と会見。
7月嫡子・寅太郎誕生。
9月大目付・陸軍掛を拝命。
10月大目付返上。上洛。
12月兵庫でイギリス公使の通訳官アーネスト・サトウと会う。

王政復古への道程

西暦年齢月日主な出来事
1867年39歳2月帰国し、四侯会議を久光・忠義に建言。高知に行き山内容堂に、宇和島に行き伊達宗城に上洛を促す。
3月久光に伴い、兵700を率いて上洛。
5月中岡慎太郎・板垣退助らと王政復古を計る。
6月山縣有朋に討幕の決心を告げる。久光、山縣を引見し、薩長連合の密旨を毛利敬親に伝えるよう頼む。小松・大久保・中岡・後藤らと王政復古を盟約。
7月村田を長州に遣わし、土佐藩との盟約を打診。
9月後藤と会い、土佐藩の大政奉還建白書提出論を聞く。
10月薩摩藩邸で、小松・大久保、長州の広沢真臣・品川弥次郎、安芸の辻将曹らと会合し、三藩連合して王政復古断行を決める。
10月14日長州藩に討幕の密勅が下る。大久保・小松・広沢・品川らと連署して、奉命書を奉る。山口にて毛利敬親父子に謁し、討幕の密勅を呈し上洛出兵を促す。 帰国して、久光・忠義に討幕の密勅を呈し、上洛出兵を促す。
11月忠義を奉じ、兵を率いて鹿児島発。毛利内匠らと会合し、薩・長・安芸三藩兵出兵の手順を決める。
12月大久保・岩下・吉井、長州の山田顕義・品川らと会合して、王政復古の大号令発布日を決める。岩倉具視・伊地知正治・岩下・吉井らと大久保邸で会合し、王政復古のクーデターを9日に決定。
12月9日薩・安芸・尾張・越前四藩の藩兵に出動命令を出す。会津・桑名兵退却、土佐藩兵も出動。王政復古の大号令発布・幕府滅亡。小御所会議開かれる。
12月12日参与職に任命される。

戊辰戦役の活動

西暦年齢月日主な出来事
1868年40歳1月1日江戸薩摩藩邸焼打ちの第一報を受ける。
1月2日大久保・岩下と王政復古に関する外国布告案作成。
1月3日旧幕軍、大阪より大挙北上。鳥羽・伏見にて迎撃。
1月4,5日官軍を指揮、勝利を得る。
1月7日征討令発布の会議に出席。
1月17日海陸軍掛、および徴士に任命される。
1月18日藩主に願って徴士を辞す。
2月1日大久保と征討策を練る。
2月12日薩藩東海道先鋒軍を指揮して京都発。
2月14日東征大総督府下参謀に任命される。
2月25日東海道先鋒軍の各藩隊長を静岡に集め、江戸進軍の命を伝える。
3月5日大総督・有栖川宮を静岡に迎える。
3月6日東海・東山両軍に、15日を以て江戸城を総攻撃することを命じる。
3月9日勝海舟の書代を持って静岡に来た山岡鉄舟と会う。山岡に徳川処分案を手渡す。
3月13日江戸高輪の薩摩藩邸で勝と会う。
3月14日田町の藩邸近くの旅館で勝と会い、徳川方の対案を受領。明日の総攻撃を中止する。
3月16日静岡で大総督府と協議。
3月20日京都で政府首脳と勝の案を協議。
4月江戸城入城。
閏4月京都で大久保・岩倉らと、徳川家禄高と関東鎮撫の策をねる。
5月黒門口の薩摩軍を指揮し、上野の彰義隊を撃破する。
6月募兵のため帰国。
8月東北鎮定に三隊を率いて鹿児島を出帆。新潟着。弟・吉二郎戦死。米沢・庄内(鶴岡)に進駐。寛大な戦後処理をする。
10月大刀料三百両の下賜が発令される。
11月鹿児島凱旋。日当山温泉でくつろぐ。

藩参政から新政府の参議へ

西暦年齢月日主な出来事
1869年41歳1月藩の役職辞任。政府への出仕も辞す。
2月忠義、日当山まで来て、藩政への参加を求む。藩の参政・一代寄合となる。
5月箱館の榎本軍討伐増援のため、精兵を率いて赴くが、戦いは終わっていたので直ちに引返す。
6月維新の功により、永世二千石の賞典禄を受ける。
9月正三位に叙せられ、辞退したが許されず、この時から父・隆盛の名が誤用される。
1870年42歳1月参政を辞し、相談役となる。
2月山口の兵隊反乱を視察する。
3月二男・午次郎誕生。
5月正三位の位記の返上許可発令。
7月鹿児島藩大参事に任命される。
12月勅使岩倉・副使大久保ら来鹿して、西郷の出仕を促す。
1871年43歳1月山口の木戸、高知の板垣らを誘い上京。
2月御親兵の制をはかり帰国。
4月忠義に従い、常備四大隊を率いて上京。
6月木戸と共に正三位・参議になる。宮中や各省の大改革を断行。
7月廃藩置県断行。
8月散髪脱刀令公布。
11月岩倉・大久保・木戸ら欧米へ出発、留守政府を預かる。

朝鮮問題の前後

西暦年齢月日主な出来事
1872年44歳3月御親兵を近衛兵にする。
5月天皇の西国巡幸に随行。大阪・京都・下関・長崎・熊本を経て鹿児島着。
7月陸軍元帥兼参議、近衛都督となる。
8月学制発布。別府晋介を朝鮮に、池上四郎を満州に遣わし、政情を調査させる。
11月久光は、14か条を掲げて西郷を非難。西郷、帰鹿して久光を訪ねる。
1873年45歳4月東京帰任。
5月徴兵令による陸軍大将兼参議に任ぜられる。
6月病気となり、天皇、侍医を遣わす。朝鮮問題、閣議に上る。出兵に反対し、使節派遣を主張。自ら使節となることを願う。
8月閣議で西郷の朝鮮使節派遣決定、天皇に上奏。
10月三男・酉三誕生。岩倉・大久保らを加えて閣議を開く。意見対立。次の閣議で、西郷一任決定。大久保ら辞表提出。三条発病。岩倉、太政大臣代行となり、使節派遣中止を天皇に上奏して裁可される。すべての官位官職の辞表を出し、郊外に移る。 辞表は受理されたが、正三位と陸軍大将はそのまま。
11月帰郷し、武村に住む。

帰郷生活と西南戦争

西暦年齢月日主な出来事
1874年46歳2月久光が佐賀の乱の鎮定を命じたが断る。
3月江藤新平が山川の鰻温泉に来て、援助を請う。
4月従道に頼まれ、台湾出兵に300人を参加させる。
6月私学校設立。
10月大山巌帰鹿して、政府への復帰を願う。
1875年47歳4月鹿児島郊外の吉野に開墾社設立。
5月三条、再出仕を要請。
11月県令・大山綱良の求めに応じ、県政改革断行。賞典学校生徒3名を、フランスに留学させる。
1876年48歳3月下野した久光の使者が来て、協力を求める。
11月萩の乱・神風連の乱を知るが動かず。
1877年49歳2月2日根占で私学校徒の火薬庫襲撃事件を知る。
2月12日薩軍大将の資格で、政府尋問のため東上することを大山県令に告げる。
2月17日兵と共に出発。
2月22日熊本城攻撃。
2月25日官位を剥奪される。
3月田原坂の戦い。
4月人吉に退く。
5月宮崎に退く。
8月長井村で政府軍に包囲され、陸軍大将服を焼く。可愛岳を登り、政府軍の包囲網を突破する。
9月1日鹿児島突入。
9月24日政府軍総攻撃。城山岩崎谷で銃弾に当たり、別府晋介の介錯により自決する。
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